いじめについて②
講師ブログ教室長の丸山渉です。
前回、いじめに関して教育委員会との話し合いに同席させて頂いた時の雑感を記しました。今回はいじめとは何なのか?を考えるためにいじめを取り巻く状況・社会的な認識に関して、考察してみたいと思います。
学校現場が長期間にわたり、効果的な対処法が見つけられていない問題の一つであることは間違いないと思います。
文部科学省では2013年「いじめ防止対策推進法」の施行に伴い、いじめを定義しなおして以下のようになっています。
『いじめ』とは、「児童生徒に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」とする。 なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
これまで、被害者側の視点でいじめの問題の多くが語られてきていると思います。この視点は被害者の被害状況・尊厳の回復や緊急的な保護のためにとても重要な視点であることは疑いの余地がありません。しかしながらそもそも「いじめ」とは何なのかの本質的な議論・対策を行う上では不十分です。
加害者側にとって「いじめ」とは何なのかを語る時、「そんなつもりではなかった」「被害者側の過失もある」等、加害者側の視点は、幼稚な意見で取るに足らないような主張が多く、考察自体も加害者側の家庭環境等の対応に終始する形になります。
つまり、いじめの当事者間の問題として、扱われ、いじめが起こる環境やいじめを許容してしまう要因に関しての議論は不十分で、環境要因に関しては、「いじめを絶対許さない!」等の観念的とも言えるスローガンを掲げるのみになっていたと思います。
近年になり、いじめが起こっているときの第三者(傍観者)の重要性を子どもの人権問題に関わる弁護士さん等が学校での出張授業で話すことも増えてきているとのことです。このアプローチは効果が期待できると個人的に考えています。
これまでは、被害者・加害者にフォーカスしてきたので、それぞれのパーソナリティの問題に起因する対処になっていましたが、そもそもパーソナリティの問題は子どもであっても短期間で効果が表れるようなことは難しいでしょう。従って継続的な支援が必要になりますが、当事者が小学校から中学校・高校と進学する際に、支援の継続性に問題が起きます。