いじめについて④
講師ブログいじめについて④
「いじり」と「いじめ」の関係が学校の問題として議論され、知られる様になってどれくらいが経つのでしょうか?少なくともお笑いのブームが大きくなるたびに議論されてきたと記憶していますので、1980年代にはかなり活発に議論されていたようですが、「いじり」という表現は1990年代になってからの登場だったと思います。
「いじり」は特定の人物に対して、その人の特性等を揶揄したりして、その反応を通じて関係・雰囲気を変えることですが、健全な「いじり」では、前提として対等な関係で行われると言われます。つまりはコミュニケーションの中で起こり得ることのある局面を指していて、程度の問題はあれ一定の頻度で起こることです。コミュニケーションの中で他者の過失を指摘したりすることがあるように、「いじり」も元々深い思惑からというより、局面的に起こることの一つです。これが「いじめ」に発展していくときは、過失を指摘するケースと似ていて、過度・頻繁に、相手の状況を配慮せずに行えば「いじめ」とよべる局面へと変わります。従って、加害側からすると初期のコミュニケーションの時と程度などがエスカレートしたことに気が付きにくく、周囲も同様に気が付かないことが多く、被害を受けている側のダメージだけが深刻化してしまうことに繋がります。
ハラスメントも多くは必要なコミュニケーションをスタートにしていることが多いです。また、コミュニケーションはコミュニティでの立場を確認する上でも当然、役割を果たしますので、加害側は意図する・しないに拘わらず地位確認を被害側を利用して行う構図になります。
健全は「いじり」対等な関係で行われる。ということを考える際に、私たちは人と人とが対等なことは当然のこととしていますが、「対等」とは実際にはどういうことなのかの定義・現実的な機能・健全な関係とは?など、今一度議論されていく必要があると思います。学校に纏わる多くの問題が、表面的な対処に終始していて、そもそもなぜその事態が発生するのかを見誤る、又は軽視して、結果、対処法もアリバイ的なものになってしまっています。