不登校(1)
講師ブログ個別指導塾にらいかない 教室長の丸山渉です。
不登校に関する記事を目にする機会が多いですね。関心が集まることで、より根本的な対処が進むことが期待できます。そんな中で今回取り上げる記事はやや首をかしげたくなる記事です。
『「学校に無理していかなくてもいいよ」⇒親に放置された子供の行く末は?』
https://news.yahoo.co.jp/articles/e10e8b84c742901329a566f8ecb597c3efea36dd
この記事は書籍を抜粋・編集したものとのことです。
不登校経験者に対する調査で、学校へ通わなかったことを肯定する人が居る一方で、その2~3倍の方が、後悔している事を上げて、不登校を許容している社会環境に疑問を投げかけています。
元になる書籍を読んでいないのですが、気になる点をいくつか挙げてみたいと思います。
①記事中で2019年内閣府調査を上げて、15~39歳より、40~64歳の中高年のひきこもりが多いとの調査結果を上げ不登校が成人後のひきこもりへ移行することが懸念されるとしています。
不登校とひきこもりの関連性は指摘されてはいるものの、不登校=ひきこもりといった図式は成り立つと言いきれないと言われています。(不登校経験者に対する、追跡調査が大規模に行われたのは2019年が初めてでほとんど調査されてこなかった、特に成人のひきこもりの総数把握は不可能とまで言われています)
また、仮に関連するとしたら、40~64歳の方の就学年齢時とくらべると、現在、また15~39歳の方の就学年齢時より、不登校の社会的受容は格段に厳しかったと言えます。従って、成人期のひきこもりの要因の一つは「不登校を許容しなかった(されなかった)」ことと言えるのではないでしょうか?
②不登校体験者の25.2%(小6)30.3%(中2)が「もっと登校すればよかったと思っている」
若者が過去を回顧する際に、「あの時○○していれば」と回顧することは普通、また一般的な体験ができなかった方が、一般的な体験をしたいと思うことは、標準化バイアスの影響からも多くみられることです。
まだまだ、疑問に感じる箇所の多い記事ですが、不登校の本質的な問題の一つとして、その児童・生徒が他者と接触して様々な経験をする機会が無くなってしまいます。従って、支援の在り方で早急に検討するべきことが、「学校にいけない時、その子にどの様に様々な機会を提供できるか」であるべきです。
学校が様々な機会を保障する上で最も社会資源を投資してきた場所であることは事実、かつほぼ唯一でした。ほぼ唯一であったがゆえに、「不登校症」「問題家庭」などと、主に当事者の問題として扱ってきた過去60年以上の反省に立ったから、文科省が姿勢を改めた経緯があります。
不登校の問題において家庭が果たす役割は大きいことは言うまでもありませんが、社会が何もしてこなかったことや、学校を選択しなかった(できない)人に対して、他の社会資源がほとんどないことが、最大の問題ではないでしょうか?