~日本史探求~ 飛鳥時代(奈良) 薬師寺東塔「凍れる音楽」
講師ブログ飛鳥時代〜奈良時代にタイムスリップ!ちょっと奈良県に行って来ました。
薬師寺は飛鳥時代680年に天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して創建したお寺です。
しかし完成を待たずに天武天皇は崩御され、皇后であった持統天皇が引継ぎ造営し、都の遷都にともない現在の地へと遷りました。
薬師寺の伽藍配置は中門からの回廊に囲まれて、中門、金堂、講堂が一直線上に並び、東塔と西塔の2つが金堂前の両脇に建っている双塔式と呼ばれる珍しい形式です。
東塔は創建当時の姿を今に伝える貴重な建造物で、国宝に指定されています。
再建された薬師寺は回廊がつながっていない状態です。
かつてゲーテは、建築は音楽の持つ美しさを目に見える形にした永遠にとどめることができる「凍れる音楽である」と表現をしました。
その言葉から明治時代に薬師寺の東塔を見たアメリカ人の美術史家フェノロサが「凍れる音楽」と評したと言われています。
「凍れる音楽」とはいったいどういうことなのか?
視点を変えて東塔を改めて見上げてみると、大小の屋根がまるで音符が連なり、旋律を奏でるかのように見えてきました。
悠久の時を経てここに立ち続ける東塔が、形として凍結された壮大な楽曲である芸術作品、まさに「凍れる音楽」だと思いました。
さてこの東塔ですが、何重の塔に見えますか?
小さな屋根があり六重の塔に見えながら実は三重の塔なのです。
法隆寺の五重塔と比べてみると確かに東塔は三重の塔だというのがわかるのではないでしょうか。
【薬師寺東塔】 【法隆寺五重塔】
東塔の大きな屋根の下にある小さな飾り屋根は「裳階(もこし)」と呼ばれ、風雨から建物を守るそうです。
「大きな屋根は天武天皇、裳階は持統天皇で東塔は天武天皇が持統天皇を優しく守ってられる姿です」と薬師寺元管主が話されていたそうです。
1300年の時を超え、今なお私たちを魅了し続ける薬師寺東塔。
この優美な塔が奏でる静かなる調べは「凍れる音楽」としてこれからも未来へと語り継がれていくことでしょう。